酒蔵めぐり
――ヨークランド。
古くから造酒が盛んな事で知られる、こののどかな田舎町のどこかに杯のマスターカードが眠っている。
「……お嬢さん」
ふと、ジェラスが身に付けていた装身具を一つ外し、アセルスに手渡す。
「キレイ――何、これ?」
「幻獣の涙。――杯の試練を受けるつもりなら、身につけておきなさい」
酒だー酒ー!と、大喜びの剣豪とは逆に、黒髪の青年はどこかあまり乗り気でない様子だった。
「へえー、あんたら、杯のカードのことが聞きたいのか? まぁ、一杯飲みなよ」
手がかりを求めて入った酒蔵のひとつで、まだ日の高いうちから、いきなり大きめのグラス――と言うよりは桶といったほうが正しい――になみなみと注がれた酒が振舞われた。
ゲンは大喜びで口をつけると一気に飲み干した。
「お、いい飲みっぷりだねぇ。そうそう、杯のカードだったら、隣の蔵の方が詳しいぜ」
言われたとおりに隣の蔵へ言ってみれば……また、酒が振舞われる。
「おい、酒だったらさっきも貰ったぜ」
確かにヨークランドの酒は絶品なのだが――ゲンはともかく、酒を嗜むヒューズにとってもこれは少々ありがた迷惑だった。
イルドゥンは、眉間の皺をより深いものに変えつつ「やはり人間には品が無いな」とボソリと言った。
妖魔は、もともとの表情が読み取りにくいことに加えて、青い血を持つため、酔っているのかいないのか一見してわからない。
だが、酒によって精神的に影響を受けることは無いものの、肉体的な影響は皆無ではないようだ。
「ここじゃ、カードの巡礼に対して、各蔵ごとに酒を振舞うしきたりなんだ」
すべての酒蔵の酒を飲み終ってからでないと、マスターカードのありかは教えてくれないらしい。
一同がぐらつく頭を押さえ、段々足元もおぼつかなくなる中、何故かアセルスとジェラスだけはしっかりとした足取りで歩いていた。
流石のゲンも「俺は美味い酒さえ飲めりゃそれで満足なのに、なんだって酒蔵を無理矢理たらい回しにされなきゃなんねーんだ」などと文句を言っていた。
いかに酒豪といっても、これほど大量の酒を、しかも種類かまわず併せて飲めば悪酔いするに決まっている。
「もしかして、知ってた?」
「――ああ。それには、毒を無効化する力がある」
先程の態度が気になって小声で尋ねるアセルスに、私は、まったく酔わない――いや、酔えない体質でねと黒髪の青年は苦笑した。
酒職人の里・ヨークランドの住人は下戸には冷ややかだ。
顔に出ない妖魔と、まったく酔っていない様子の二人に対してはやけに愛想がいいが、つぶれる寸前の男性3人に対しては、なんだこのぐらい、と言った視線 が向けられている。
年恰好からおそらく酒類を口にするのは初めてだろうと、ジェラスは気を遣ってくれたのだ。
「ありがとう」
「気に入ったのなら、そのまま持っていなさい。――私には、もう必要のないものだから。それと」
(――あれ……何だ? この違和感は――)
青年の言葉と、優しげだが何故か少しだけ淋しそうに見える笑顔にアセルスはすこしだけ引っ掛かるものを感じた。
「あとで、ルージュに渡しておいてくれないか? 今は余裕が無さそうだからな」
預かったのは精霊銀のピアス。雪山での一件以降、彼があの美しい旋律を戦いの場で披露してくれる機会は、残念ながらまだ無い。魔力を高める効果はあっても、音波を遮る効果を併せ持つアクセサリーは相性が悪いのだろう。
ジェラスの表情は何だかとても気になるが、せっかく相手が気前よく「くれる」と言うのだ。厚意を断るのも失礼かと思い直し、アセルスは素直に虹色の宝石を受け取ることにした。
「――ここで、最後……!」
酔っ払って赤面どころか、既に昏倒寸前で蒼白な顔のルージュは蔵の前で安堵の呟きをもらした。
しかし、ジェラスはルージュにさらに止めをさすようなひとことを告げた。
「――水を差すようで申し訳無いが、杯の試練はここからが本番だぞ」
「? どういうこと?」
「酒を飲み干せば蔵の主人が教えてくれるだろう」
アセルスは訊いたが、どうやらジェラスには教える気はないらしい。
「まぁ、覚悟はしておいた方がいい」
とりあえず、一気呑みツアーはここで終了らしいことがわかって、一同はひとまずホッとした。 ジェラスの言葉に何か引っかかるものを感じつつも、ルージュは意を決して酒蔵に入った。
最後の蔵で酒を飲み干した一行は、酒蔵の主人の言葉に耳を疑った。
「お、ぜんぶ飲んだな。じゃぁ、教えてやるよ。今から、その状態で沼地の奥の酒神さんの祠に行ってみな」
沼地というぐらいだから当然道は悪い。
歩けるところを何とか探して進むしかないのだが、あのあたりは水棲系モンスターの巣になっている。
ふらふらとした足取りで歩こうものなら、彼らの格好の餌になることはわかりきっている。しかし走ればさらに酔いが回るので、一気に駆け抜けるというわけにもいかない。
何も無い状態でも進むのは困難な場所なのに、酔いが回った状態で行けといわれて、一同は思わず目の前が真っ暗になった。
とはいってもルージュにとって資質の修得は死活問題である。ここで投げ出すわけにはいかない。
結局、ルージュに説得され、一同は渋々沼地を目指した。
何度かぬかるみに足を取られ、水棲系モンスターと遭遇しつつも一行は酒神の祠にたどり着いた。
「――杯の、マスターカード……!!」
造酒の里の守り神にふさわしく、杯のマスターカードは酒をこよなく愛する者の前に姿をあらわす。
だから、里の酒蔵すべてを訪問し、充分吟味した状態で祠に来る必要があったのだ。
浄化を司る杯のカードの力により、一行の体からは酒気の影響がきれいさっぱり消えていた。
そして、量を飲んだとはいっても、振舞われたのはかなり上質な酒であるので酒が抜けたあとの不快な症状もあらわれない。
「あ――カードが……!」
ルージュの持っていたブランクカードがうっすらと光を放っている。
―― 守りの『盾』、幻惑の『金貨』、力の『剣』、浄化の『杯』。
4つの試練を果たせし者よ、今ここに『秘術』の資質を与えん
突然光りだしたブランクカードを取り出すと、そこには今まで試練の場で目にしたマスターカードのものとまったく同じ図案が刻まれていた。
逆の面には『アルカナ・タロー』の文字が浮き上がっていた。
すがすがしい気持ちで祠を出た一行を待っていたのは、先程の沼地ではなく、何も無い真っ暗な空間だった。