闇の迷宮
――我が血を受けし養い子でありながら、寵姫を奪った裏切り者よ。罰を受けよ!
直接頭に響く、威厳のある男性の声だった。
「オルロワージュ様?!」
アセルスの傍らに立つ白薔薇姫が、悲鳴のように妖魔の君の名を呼んだ。
「ちょっと、なんなんだよ、ここはっ!」
しっかりと、白薔薇姫の手を握りながら、アセルスが何もない空間に向かって抗議する。
「だいたい、寵姫とか奪うって、貴方達は何だ? 離れていかないように、縛り付ける。そんな権利は誰にもないだろう!」
――娘よ、あくまで逆らう気か。ならば見事、その迷宮を抜けて見せるがいい。
「いわれなくてもっ!」
猛然と食ってかかるアセルスに答えるかのように、闇の中に無数の扉が出現していた。
――白薔薇と共に、抜け出すことができるものならな。
嘲笑うかのような響きで告げると、声の主はそれきり気配を絶った。
「ルージュ、『ゲート』を展開できるか?」
ジェラスの提案に、ルージュは術の使用を試みる。もともとリージョン間を移動することは出来ない状態だったが、試してみる価値はあるだろう。
「そんな……術が使えない?」
「当然だ。ここは、妖魔の君の作った結界の中だぞ」
そう簡単に破ることなど出来てたまるかと、イルドゥンは眉間の皺を深くした。
地道に突破するしかないとわかって、一行はひたすら出口を求めてさまよった。
いくつもの扉を抜け……ひときわ大きな扉の前まで来たとき、見知らぬ影が待ち構えていた。
「おめでとう。出口はここだよ。さて――どちらがここに残るのかな?」
「何を、言っているの?」
影は、アセルスと白薔薇の二人を見据えて告げる。
「お姫様と王子様。ふたり一緒には出られないよ」
「アセルス様。ここは、わたくしにおまかせを」
白薔薇が、扉の前に進み出た。
「白薔薇様!」
「いいのです。イルドゥン、――アセルス様のこと、お願いします」
何か言いかけたイルドゥンを制し、白薔薇姫は一同に向かって微笑んだ。
「答えは決まった。さぁ、行くがいい。試練に打ち勝った貴方は、晴れて自由の身だよ」
扉がまばゆく光ったかと思うと、アセルスの傍らから慣れ親しんだ姿が消えていた。
「そんな……どうして?」
光が退いたあとアセルスの視界に入ってきたのは、ヨークランドの沼地だった。
そばにいたのは、針の城で一度言葉を交わしたことのある赤毛の妖魔。
「『闇の迷宮』はオルロワージュ様が妖魔に課した試練。突破した者には、たとえ妖魔の君であってもおいそれと手出しは出来ない。良かったね、キミは自由だよ」
これでもう、追っ手の影におびえなくてすむ。優しげな声音で、安心できることを告げられているはずなのに、 何故かアセルスは震えが止まらなかった。じわりと嫌な汗が噴き出し、脳裏に先程の意味ありげな言葉がよぎる。
――お姫様と王子様。ふたり一緒には出られないよ。
赤毛の妖魔は、アセルスに「闇の迷宮」のからくりを告げた。
「『大切な者』を引き換えにすることでしか、脱出は叶わないのさ。白薔薇姫が残ったから、キミは外に出られた」
「嘘だ!」
追い討ちをかけるように、アセルスの心に直接届いた、懐かしい声。
――アセルス様。
「白薔薇? 白薔薇なんだね! どこにいるの?」
――わたくしは、ここに残ります。アセルス様……どうか、自由に。
「待って、白薔薇、白薔薇あああー!」
アセルスの叫びは、白薔薇に届かない。落胆のあまり膝をつくアセルスに、赤毛の妖魔は声をかけた。
「他の仲間は、きっとどこか別の場所に飛ばされたんだろうね。あちこち探してみれば、見つかるだろうさ」
ヒューズはゲンに引きずられて、ヨークランドの酒蔵に行っていた。
(ルージュはきっと、あそこにいる……!)
術の資質を求めているといっていた彼。手がかりを求めるために、きっとドウヴァンに向かうはずだ。そして――彼はやはり、そこにいた。
リージョンシップを降りたアセルスは、シップ発着場のロビーで見覚えのある姿を見つけて思わず駆け寄った。 赤い法衣を纏った青年は、驚いたように目を見開いてアセルス、と呟いた。
「――僕は、もう少しだけ……君といっしょに旅をしても、いいのかな?」
「妖魔の君と、戦うんだよ? いいの?」
「僕だって、資質集めのために雪山や廃墟までつき合わせたんだよ? ここで『ハイさよなら』なんて……できないよ」
銀糸の髪を揺らし、ふわりと微笑む青年に、アセルスは「ありがとう」と右手を差し出した。
「そういえばアセルス。ここの神社のおみくじ、良くあたるって評判なんだ。気分転換にでも行ってみない?」