1章 旅立ち
道場から出てきたルージュを、先刻出会った青年が迎えた。
「――やけに早いな。修行というからもっと時間がかかるものだと思っていたのだが」
相手が待っていてくれるとは思っていなかったルージュは少しだけ驚いたが、とりあえず結果を告げることにした。
「なんでも、僕の心は『ふたつにわかれている』とのことで、修行を拒否されてしまいました」
たいして落胆するでもなく、さらりと言われて、結果を聞いた青年の方がとまどった表情を浮かべた。
資質の修得といえば命に関わる大問題のはずなのに、当の本人はけろりとしている。
「それは珍しいな。……しかし、君にとって、『術の資質を得られない』なんて一大事ではないのか? ……心が、ふたつに――か。どういうことなのだろうな」
「僕にだって解りませんよ。……双子の術士という点に、何か関係でもあるのでしょうか」
黒髪の青年は一瞬深刻な表情になったが、深く追求しようとはしなかった。
「まぁ、このままここに居ても仕方がないな。ルミナスには、陰陽ふたつの資質があると聞く。行ってみるのもいいだろう」
「それはいいんですけど――僕は、他のリージョンへ渡る扉を開けません」
返答を待たず歩き出した青年の前に、慌ててルージュが回りこんだ。
間近で見上げられる格好になって足を止めた相手に対して「ゲート」の説明をする。
マジックキングダムの「魔術」にはリージョン間を移動するための術があるのだが、術だけでは使い物にならない。扉を召喚する術と、扉を開く鍵であるアイテムが揃って初めて使用可能となる術なのだ。
鍵となるアイテムは、資質を保有するもの――つまり、マジックキングダムで生を受けた者に対して、学園での修士課程を終えた卒業の証としてキングダ ムの正装である『修士の法衣』と共に授与されることになっていた。
キングダムの許可無くしてキングダムに籍を置く者が他のリージョンへ渡る事は出来ない仕組みなのだ。
栄えある卒業式で一騒動起こしたルージュは「鍵」を持っていない。
黙って聞いていた黒髪の青年は、呆れたようにひとつため息をついた。
「……リージョンシップを知らないのか?」
術を使わなくても移動は出来ると言われ、ルージュはこれまで自分の置かれていた環境が特殊なのだとあらためて思った。
マジックキングダムにもリージョンシップ発着場はもちろんあるが、術を用いての移動の方が短時間で済むうえに最初の目的地も鍵が示してくれるため、 迷うこともない。
これまでリージョンシップなど使ったためしのなかったルージュは、こちらの方が一般的なのだと聞いて驚いた。
「シップに乗るのが初めてなら、展望室に行ってみるか?」
ルージュにとって目にするものすべてが新鮮で珍しい。しかしそれよりもまず訊きたいことがあった彼は、青年と向き合う席に腰を下ろした。窓からは リージョンとリージョンの間を埋める「混沌」を眺めることが出来た。
「どうして……僕が『マジックキングダムの卒業生』だと、わかったんです?」
「古い知り合いにキングダムの者がいてな。――キングダムの出身者は妖魔と同じくらいには目立つのでね……すぐにわかったよ」
黒髪の青年は懐かしそうに微笑んでいたが、見つめられたルージュは――自分を通して誰か別の人を見ているのではないか――と思った。
「ひとりで全ての資質を集めようなどと……無謀なことを考えるのは感心しない」
真顔で言われて、やっぱり……と思うのと同時に、ルージュの中で疑念が持ち上がった。
(僕に与えられた使命や、キングダムのやり方を知ったら……この人はどんな表情をするんだろう)
血を分けた双子の片割れの命を奪え――などという命令を、平気で下すような者の治めるリージョン。
(知ってしまったらきっと、こんなふうに笑っていられるはずがない……)
ルージュは膝の上、握り締めた自分の手に視線を落とす。下を向いてしまっては、お互いに相手の表情を見ることはできない。
「――かつて、友人を助けられなかった分。同じキングダムの出身者に手助けがしたい――と言ったら。……迷惑か?」
驚いて顔を上げたルージュは、微笑む青年の瞳に昔を懐かしむだけではなくわずかに悲しみが混じっているような気がして、目を逸らすことができなかっ た。
戸惑うルージュに、畳み掛けるように青年は言葉を続ける。
「ひとりより、ふたりのほうが心強いだろう?」
それに、と言葉を続ける青年の顔には先程とは異なった微笑が浮かんでいる。
「リージョンシップに1人で乗れない世間知らずを放っておいたらどうなることか」
最後の一言は嬉しくは無いが「ありがたい忠告」として受け取っておくべきかもしれないな、と思ったルージュは意を決して告げた。
「僕はルージュ。よろしく、お願いします。えぇと――」
「私は……ジェラス」
青年は自分の名を告げるときに何故か一瞬だけためらったようだが、ルージュの差し出した手をとると――出会ったときと同じ穏やかな笑みを返した。
2002.4 初出 2004.1 加筆修正