麒麟の空間を抜けたルージュの目の前に、魔道王国で何度か見たことのある転移結晶が現われる。
おそらくブルーも、時術の資質を手に入れたのだろう。
宿命の双子が全ての資質を手にしたときに、決闘の場への道は開かれる――卒業式の日に、校長から告げられたとおりの展開だ。
ルージュに近い方の岩場には、アセルス、ゲン、イルドゥン、ヒューズ……よく見知った面々が揃っていた。
ブルーに近い岩場にも、クーロンの裏通りで顔を合わせたことのある妖魔の医師――ヌサカーンという名だったと思うが――他に何名かの人影が見えた。ルージュには妖魔医師の他は面識が無いため、誰が誰だとまではわからないが。
どういう仕掛けなのかはルージュ自身にもよくわからない。だが、状況から察するに「決闘の立会い人」として、これまで共に旅をした者たちもこの場に呼び寄せられたのだろう。
「待っていたぞ、ルージュ――完全な術士となるのは、この私だ」
赤みがかった巨大な半月を背に岩場に立つブルーの姿は、蒼い法衣とあいまって凍るような冷たさを見るものに印象付ける。
「ブルー……僕は、君と戦いたくない」
遠目にもはっきりとわかるほど、ブルーは目を見開いた。
「完全な術士なんて、どうでもいい」
「何を言っている! マジックキングダムの双子の使命だと! 双子は片割れを殺さなければ一人前にはなれない! お前も、そう言われたのだろうが!」
続くルージュの言葉に、ブルーは激昂した。
これまでのブルーがどうだったのかは、引き離されて育ったルージュにはわからない。
だが、他のヒューマンの仲間はともかく、妖魔であるヌサカーンも驚いた表情を浮かべている――彼の仲間たちの反応から察するに、現在のブルーは感情をあまり表に出さないタイプなのだろう。
怒りのままに発せられたブルーの攻撃術は、ルージュの頬を掠め、後方の岩場一つを崩壊させた。
「ブルー」
ルージュは防戦に徹し、攻撃をかわしながらも、なんとか相手を説得できないかと試みる。
ブルーからの返答はなく、代わりに飛んでくるのは攻撃の魔術。
しかし感情の乱れが集中を妨げているのか、ブルーの術はいまひとつ決め手にかけている。
選んでいる術は、どれも攻撃の威力が高いもののはずなのに、ルージュに致命傷を与えるには遠い。
幾度か倒れこみはしたものの、ルージュの傷は場に満ちた不可視の力によって癒されていた。
立ち上がったルージュは、魔術を発動させるために簡易詠唱を行う。
(本当は、こんなことしたくないけど――)
「サイキックプリズン」
ルージュが唱えたのは、使用者にそのままダメージを跳ね返す『術封じ』の魔術。
術者がダメージを弱める方法は、詠唱を中断し下位の術に切り替えること。
ブルーとて魔道王国の出身者なのだから、当然その知識はある。
ルージュの予測通り、ブルーは唱え始めていた時術の詠唱を止め、虚空に印を描くだけで発動させられる印術に切り替えた。魔力がブルーに跳ね返るが、わずかに髪や装飾品が風で煽られる程度で、ブルーには傷一つ無い。
けれど、魔力の檻が砕ける瞬間。ルージュとブルーの魔力が交じり合い――ふたりの脳裏に過去の記憶が蘇る。
――聞こえなかったのですか? 僕は、『嫌だ』と言ったんです
視界に入る白銀の髪と紅の瞳は――紛れもなくルージュ自身だった。
(うわ、僕……卒業式のとき、こんな顔してたんだ)
あの場に鏡はなかったから、誰か別人が見ていたルージュということになるのだが。
流れ込んできた「誰かの記憶の中でこちらを見ているルージュ」は、怒りのためか表情が冷め切っていて……見下ろす紅玉の瞳は、まるで虫けらか何かを見るかのようだった。
サイキックプリズンの術に記憶を読み取る効果など無い。
(対決の場の効果か、それとも――)
自分たちが双子であることに関係しているのだろうか、と疑念を頂いたルージュの思考は、ブルーの声によって中断される。
「見るな!」
制止の声と共に、投げつけられた精霊石のかけらがルージュの意識を現在へと引き戻す。
自分に見えていたのは……ブルーの記憶なのだろうか。ほんの一瞬ではあるけれど、流れ込んできた想いは、『マジックキングダムに認められたい』という切なる願い。
ルージュ自身は持ち合わせていない感情なのだから、おそらくブルーの記憶や感情なのだろう。
けれど、ブルーの中にマジックキングダムへの忠誠心が確かにあるように、ルージュの中にもどうしても譲ることの出来ない想いがあった。
「殺しあうなんて、嫌だ」
「――麒麟を殺したお前が、それを言うか」
焦点の定まっていなかったブルーの瞳に、昏い炎が揺らめく。ふらつく足元を支えるように、岩場に切っ先をつきたてられているのは、紅蓮の刀身。妖魔の工匠が仕上げた命の宿る魔剣。
(幻魔?!――どうして、ブルーが)
声すら出ないほど驚いた――ということもあったが。
自分の命などそれほど惜しいものでもない……とほんの一瞬、ルージュは思ってしまった。
けれど、瞬く間のわずかな時間が大きな隙となった。
次にルージュの視界に入ったのは、自分に向けて振り下ろされる、紅の魔剣の軌跡。
「ルージュを守れ!!」
ブルーの動きとほぼ同時に、アセルスが自らの魔剣に命じる。
主の声に応えるかのように、ルージュが携行していたアセルスの幻魔が大きく脈打つ。
月明かりの下に交差する、紅の一閃。
幻魔の刀身よりも鮮やかで、熱い――生命そのものの色が夜空を染める。
記憶に最後に残っているのは、自分に向けて倒れこんでくる、片割れの姿。
逆光になって表情を見ることはできない。纏った法衣も、月光を受けて蛍のように淡く光って見えた髪も、今は血と泥にまみれ見る影もなかった。