氷の檻
ルージュが胸の前で印を組み、ジェラスは地面に何か描きはじめる。
先の一言が気になったヒューズは、いやな予感におののきつつも訊かずにはいられなかった。
「そんなに難しい術なのか?」
「氷縛の解呪そのものはふたりもいればまず大丈夫です。でも――」
申し訳なさそうに言い淀むルージュの言葉の先を歯に衣着せぬ物言いのジェラスが続ける。
「せっかくの封印を台無しにされた事を怒った何者かが私たちに攻撃をしてくるのは必至だな。 まぁ、ここでやめたら我々もまとめて氷漬けになるだろうから、手出しした以上結果はたいして変わりはしないだろうが」
「何ぃー?!」
ヒューズが大声を上げると同時に、アセルスの表情がこわばった。
無理もない。自分が言い出したことが皆を危険に巻き込む原因なのだから。
「うしろ!!」
ヒューズがふりむくと、そこには霜の巨人が立っていた。
アセルスの緊迫した表情はジェラスの手厳しい一言のせいばかりでは無かった。
術士2人は氷縛の解呪から手が離せない。
「失敗したら命が無いのはお互いさまってか」
覚悟を決めてヒューズは武器を構える。
「うっ」
「アセルス様!!」
アセルスめがけ、巨人が氷の拳を叩き込む。
「やったな……!! これは、お返しだっっ!! 『幻魔相破』ッッ!!」
「よくもアセルス様をっ! 許しませんわ!! 『グリフィススクラッチ』!!!」
妖魔の名匠の手により命を吹き込まれた魔剣は、アセルスの声に応えるかのように脈打つと次々と巨人の体に斬撃を加えた。
それに続いて白薔薇姫が妖魔の剣を振るうと、一瞬おぼろに姿をあらわした幻獣が鋭い爪の一撃をお見舞いする。
(つ、強ぇ……っつーか、怖ェ……!!)
ヒューズは、初めて美女を見たときのイメージがガラガラと音を立てて崩れてゆくのを心の片隅に感じた。
やはり自分はどうにも凶暴な女としかお知り合いになれない巡り合わせの星の元に生まれてしまったのだと実感もしたが、 こういう時ばかりは頼もしい仲間に恵まれたと素直に天に感謝した方が良いのかもしれない。
「――封じの氷、戒めを解け」
「――悪しき鎖、断ち切らん」
ふたりの術士の呪文が終わると同時に、炎の鳥を閉じ込めた氷の檻を中心に閃光が満ちた。
光が退くと、あの巨大な氷柱は跡形も無く消えていた。
そして、氷の中にいたあの黄金色にきらめく鳥の姿をした美しい幻獣も。
「まさか、失敗――」
「いや。解呪は完璧だ」
(うっ……兄さん、何か怒ってないか?)
出会ってから穏やかな表情しか見せたことのないジェラスの、珍しく不機嫌な表情。整った顔立ちの中に今在るのは――炎の鳥を閉じ込めていた氷縛よりも冷たい瞳。
視線を向けられたヒューズは自分の失言を悟る。
ジェラスは口にこそ出さないが、態度が『失敗したら命が無いとさっき説明したばかりだろう』と 言外に告げている。
三人が苦戦していた霜の巨人は――次々に繰り出される激しい攻撃に加え、解呪の閃光によってもダメージを受けていた。
しかし巨人は、目前のアセルスに一矢報いようと最期の力を振り絞り、渾身の一撃を加えようと拳をあげた。
「アセルス!!」
ルージュの叫びと同時に、霜の巨人に向けて強力な魔力を帯びた熱線が集まり、爆発を起こす。
振り上げた拳がアセルスに振り下ろされることなく、巨人の体は粉々に砕け散っていた。
炎からも、飛び散る氷の破片からも守られていることに気付いたアセルスは術者の方へと顔を向けた。
先刻の解呪に続けて攻撃魔術を使ったルージュは疲労で思わず片膝をつく。
「大丈夫だった? ――どこもケガ、してない?」
優しく微笑みかけるルージュの顔は、心なしか血の気が引いていた。
「どうして――なんで、庇うの……?」
出会ったときにもそうだった――と、アセルスは震える声で呟いた。
アセルスの視線を受け止めたルージュは、彼女の問いに答えることなく、 そのまま気を失った。
「ルージュ!!」
「まったく、無茶をする……」
倒れこんだルージュをしょうがないな、とジェラスが助け起こした。ルージュの表情は、心なしか安心しきって眠っているようにも見える。
慌てて駆け寄るアセルスに、ルージュに代わってジェラスが苦笑を返す。
「心配は要らない。魔力を使い過ぎただけだから」
「あのさぁ。とりあえず、休息が必要だと思わねぇ?」
アセルスとルージュの顔を交互に見遣り、ヒューズはジェラスの肩を叩いた。