龍と姫君
―――グゥエインというのは、巨竜ドーラの子供です。
なんでもその昔、聖王に育てられたそうですよ
ルーブ山地の麓の小さな村で聞いた情報を頼りに、一行は巨竜の住処を目指す。
モンスターの徘徊する谷を通り抜け、濃霧が漂う洞窟を進むと、最深部にひときわ広い空洞があった。
≪なんだ、人間か。帰れ≫
山岳地帯の洞窟の奥深く、山と詰まれた財宝の中に身を横たえていた巨竜は物憂げにそう言うと目を閉じた。
「グゥエイン様――力を、貸してください」
≪人間は好かん≫
いかにも面倒だといった様子で、目を閉じたまま巨竜は短く拒絶した。
「わたくしは、魔龍公ビューネイと戦いたいのです!」
ただ、守られているだけの存在でいるのは、嫌だったから。
大切な人たちの助けになりたい、足手まといにはなるまいと、侍女であり護衛であった女騎士からモニカは戦いの術を学んだ。
貴族家に生まれたものとして、他国と円滑な友好関係を築くため、または自国をより豊かにするために、同盟よりもより強固なつながり―――婚姻によって他国との関係を維持していくのは珍しいことではない。
貴族は特権階級としてふだん優雅な生活といった恩恵を受けている反面、自国の領民を守るという義務がある。
ツヴァイク公子との縁談、つまり政略結婚を厭い、逃げ出した自分。
捨ててきてしまった、故郷―――。
今更どのような顔をして戻れるというのだろう。それでもモニカは、魔龍公ビューネイがロアーヌを襲撃したという噂を耳にして、祖国を守りたいという気持ちを捨てられなかった。
そして思い出した聖王記読みの古い詩。
――― 魔龍公ビューネイ
――― タフターン山の高き頂きに巣窟を築き
――― 大空を我が物顔に舞い
――― 地上のものどもを見下ろした
――― 聖王地上より戦いを挑むも 魔龍公は地を這うものを相手にせず
――― ルーブ山地に住まいし巨竜ドーラ
――― 聖王の説得により聖王を背に乗せビューネイに挑む
――― 竜と人との力によって さしもの魔竜公も敗れ
――― ゲートの彼方へ追いやられた ・・・
「魔龍公ビューネイを討つために、貴方の力が必要なのです」
相手に聴こえているのかはわからないが、それでもモニカは必死に言葉を紡ぐ。
「お願い・・・・・・」
≪・・・・・・≫
相変わらず不機嫌そうに、うっすら目を開けた巨竜の瞳に、必死な様子の黄金の髪の姫君の姿が映る。
≪確かに、母は聖王と共に魔竜公と戦った≫
巨竜はいったん言葉を切ると、ついと視線をモニカから外す。
≪だがな、人間≫
詩人が歌った、竜と人との物語には続きがある。
≪母は、結局最後には――聖王の手により殺されたのだ!≫
詩人が語らなかった悲劇の物語を巨竜から聞かされたモニカはショックを隠せない。
半ば吐き捨てるように告げた巨竜の言葉からは、人間の身勝手さに対する怒りと、深い悲しみが痛いほどに伝わってきた。
だが、『聖王』という単語を口にするたび、かすかにその感情に揺らぎが感じられるのは、気のせいだろうか。
憎しみだけではない、何か―――。
巨竜と人間はそうしてしばらく無言のまま見詰め合っていたが、先に口を開いたのは巨竜の方だった。
≪だが、ビューネイが我が物顔で空を飛び回るのは我慢ならん≫
「え?」
≪協力してやっても良いぞ≫
悲しみにくれていた姫君は、巨竜の意外な言葉に驚いて顔を上げる。
巨竜の口元がニヤリと笑みの形につりあがる。
≪乗れ、人間!≫
そして竜と人は、再び力をあわせて魔竜公に挑む。
「グゥエイン様――ありがとう・・・・・・」
≪礼なら、奴を倒してからにしてもらおう≫
きっぱりと告げた後、グゥエインはなぜか躊躇いがちに声を描けた。モニカにだけ聞こえるように、囁くような声音で。
≪・・・・それから、グゥエインでいい。我が翼を貸すと決めたのだからな≫
「わたくしの名は、モニカ。モニカ=アウスバッハ、ですわ」
≪!・・・来たぞ! 奴だ!!≫
グゥエインの言う、『翼を貸す』という事がどういうことなのかよくはわからなかったが、それなら自分だけ「人間」と呼ばれるのは納得いかない――とモニカが言いかけたところで、グゥエインが前方を鋭く見つめて告げた。
かすかな黒い点にしか見えなかった影が、ものすごい勢いで迫り来る。
背に乗る人物に気付いた魔龍公は、若い巨竜に侮蔑の視線を向けた。
『あら、ボウヤ。人間なんかと一緒なんて・・・忘れたの? 貴方の母親は・・・』
『黙れ年増。人間は気に入らんが、アビスの瘴気はこの世界には不要のもの。扉ごと貴様を封印する!』
何か言いかけたビューネイに対し、グゥエインは自分をボウヤ呼ばわりされたことに対し痛烈な皮肉を返す。
龍族の言葉での会話のため、人間であるモニカには両者の間でどのようなやり取りがなされているかは解らないものの、間に流れる険悪な雰囲気は感じ取れた。
≪落ちないようにしっかりつかまっていろ≫
「え?」
≪来るぞ!≫
グゥエインが氷のブレスを浴びせると、一瞬ビューネイの動きが止まったかに見えた。
その隙を見逃さず、モニカも手にしたナイチンゲールを振るう。
それから何度もビューネイはグゥエインに鉤爪や電光、火炎などさまざまな攻撃を仕掛ける。
何度もすれ違うたび、グゥエインも、モニカも魔龍公に攻撃を加える。
魔龍公の方もかなり消耗してきてはいるが、グゥエインの背に乗るモニカの息が荒い。
グゥエインも装甲の薄い部分に幾つか傷を負い、血を流していた。
「心優しき乙女の魂よ・・・・我が求めに応えて癒しの調べを奏で給え・・・・」
通常の術とはやや異なる作法で描かれた印で、モニカの小剣が美しい旋律を発すると巨龍の傷から流れ出ていた血が止まった。
「あら、お嬢さん。他人の心配などしている余裕があって?」
≪これぐらい、どうといったことは無い・・・・・・余計な事はするな≫
「他の方の心配は・・・、余裕があるからするものではありません、わ」
巨竜たちに臆することなく気丈に応えた姫君は、続けざまに魔龍公に向けて小剣を構えた。
剣の回転から発せられた衝撃波がビューネイの脇腹を抉る。
「おのれ小娘!」
それまで余裕たっぷりだった、魔龍公の美しい面が険しくなる。
妖しく輝く赤い瞳がモニカを捉えた。
「きゃあああぁっ!」
激しい横殴りの尾の一撃がモニカを巨竜の背から払い落とす。
「モニカ様ッッ!!」
「モニカッ!」
巨龍の背に乗り、魔龍公に戦いを挑む姫君の姿を地上から見守っていた仲間たちは、錐揉み状態で落下していく姿を目にして悲痛な声をあげた。
モニカと共に、傷だらけの巨龍も急降下していく。
「ホホホホホ・・・さぁ、最期の仕上げをしてあげる」
魔龍公の紅い唇に愉しげな笑みが浮かぶ。
「仲良く冥府へお行きなさい。かわいらしい人間の姫君。・・・・・・そして、愚かな巨竜の生き残り」
(ああ・・・・私は、死ぬのかしら・・・)
ぼんやりとした意識の中、モニカに届いたのは仲間たちの叫び声と、上空から愉しげに響く魔龍公の声。
だが風の音に遮られて朦朧とする意識の中、ビューネイが何を言っているのかはわからなかった。
「死なせはしない」
ただひとつ耳に届いた、その声。
(・・・・誰・・・・?)
眼下に迫る森の緑と、血の赤。そして銀の光。
それが、魔龍公ビューネイとの戦いでのモニカの最後の記憶だった。
一方、落下してくるモニカと巨竜の姿を見て駆けつけた仲間たちも、魔龍公の放った追撃の爆発音と閃光に一瞬視界を奪われた。
「モニカ様ーーーーッッ!」
山脈の麓の森で、モニカとグゥエインが堕ちていった方向を、ユリアンは必死に探していた。
立ち昇る砂煙を目印に、駆けつけたユリアンが見たものは、全身至る所から血を流している銀の髪の青年に抱えられて気を失っている姫君の姿だった。
ユリアンの記憶の中に、目の前に居る青年に思い当たる人物は居ない。どこかで、会ったような気はするが――と思ったそのとき、目が合った。
青年の視線を受けたユリアンの脳裏に、反射的に思い浮かんだのはモニカとともに戦った巨竜の姿。
「モニカ様!・・・・・・っ、グゥエイン、なのか・・・?」
「早く、モニカの怪我を・・・」
「よかった・・・・。モニカ様・・・・・。大丈夫、気を失ってるだけだ」
言われずとも、自分の主君である。身を案じるのは当然のことなのだが、ユリアンは、モニカの様子を見て、自分が予想していたよりもはるかに軽症であったことに驚いて青年を見遣る。
「って、あんたの方が重傷じゃないか!」
古代竜の末裔である巨竜――グゥエインは、人の姿になることが出来る。彼の母、ドーラもかつては人の姿に身を変えて、聖王と共に世界 を旅した。――人間にはほとんど知られていないが。
人間の姿に変化すれば、アビスの瘴気の影響は少なくてすむ。そのかわり、本来のドラゴン の姿のときに持つ強固な装甲や、武器となる爪も牙も尾も失われる。
並みの人間なら即死というダメージでもある程度は軽減できるが、まったく 無傷というわけにはいかないのだ。
「人間の姿に変化したあとで追撃を食らったのでな・・・少々、堪えた。今の私の魔力ではこれが精一杯だったのだ・・・・・・まだ、目を覚まさない・・・ドラゴンはこの程度で死にはしない。私のことは良いから早くしろ」
アビスゲートから漏れ出る瘴気は、周辺にいる生物の精神を蝕み、正気を失わせて凶暴化させる作用がある。
その作用は、人間よりも動植物や精霊、そして幻獣――人間が「モンスター族」とひとくくりにしている種族により顕著に現れる。そしてここは、魔龍公ビューネイのゲートの近くだ。当然、凶暴化したモンスターが徘徊している危険な地域でもある。
「何をしている」
「見てわかんないのか、傷の手当てをしてるんだよ!」
睨み付ける銀の髪の青年に対し、ユリアンは何をわかりきった事を、と半ば逆ギレ気味に答えた。
「余計な事をするな。この程度の傷、しばらく動かずにいれば自然と治る」
「あんたは良くても俺は良くない」
グゥエインの言う「早くしろ」とは、もっともなのだが、ユリアンにも引けない理由がある。
てきぱきと傷の手当てをしながら、それに、とユリアンは付け足す。
「モニカ様はちゃんとした宿屋で休ませなくちゃなんないし、ここにあんたを放って行ったなんて知れたら俺がモニカ様に怒られるだろ!」
もちろん、主君の悲しむ顔を見たくないという理由だけでは無いが。
「俺は、主君の恩人を傷だらけで放って行くのが人間の礼儀だとあんたに思われたくないし、だいいち礼儀がどうとか、以・前・に! 目の前に怪我人がいるのに、何もしないのは嫌なんだよ」
「ふん、・・・勝手にしろ。礼は言わんぞ」
そうしてユリアンもグゥエインもお互い無言のまま、しばらく座り込んでいたが。
沈黙に耐え切れなくなったユリアンが話し掛けた。
「なぁ、グゥエイン」
「人間に呼び捨てにされる覚えはない」
巨竜の化身は相変わらず人間嫌いを隠さない。
「そいつは悪かったよ。・・・・・・それより、さ」
ユリアンはいったん言葉を切って、グゥエインの顔を真正面から見て問うた。どうやら自分は彼に嫌われているようだが、主君の恩人であるので、これ以上噛み付くのはやめておく。
「あんた、何で協力してくれる気になったんだ?」
「言っただろう。あの年増・・・・・・魔龍公ビューネイが我が物顔に空を飛びまわるのが気にいらんと」
グゥエインは、はるか彼方の空を睨みつけたままだったがユリアンの問いに答えた。
相手が怪我をしているということと、露骨に不機嫌な表情をしていたため、「では何故ボロボロになってまで人間を庇った」と訊くことは、ユリアンにはできなかった。
2004年1月初公開 2012年2月再録、若干修正
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